いつかきっとがもう間近

ありのままの生活と夢の中

顔が問題?

昔、疑問に思っていたことを思い出した。なんて唐突に、つまらないことを思い出すのだろう。

小学生になって、まもない頃だと思う。上級生が1年生と、同じ場所を掃除した。

ある日は、尿くさいコンクリートに溝を掘っただけの便所掃除。ある日は、広い机の上にあるごちゃごちゃしたものに気を使いながら掃き掃除した理科室。なぜかその二つの場所だけが頭に浮かんでくる。

上級生2人と同級生1人の4人で、同じ場所を掃除した。

上級生と顔合わせをした初っ端、その1人から「絶対にさぼるな」と言われた。そのときのショックは、どういったらいいのだろうか。

さぼるわけ、ないではないか。上級生と一緒だから頑張ろうと思っていた矢先なのに。悲しかったし、怖かった。だから週に1度のその掃除だけは、黙々と手を動かして、掃除をした。同級生と無駄話ももちろんしない。上級生に認めてもらいたくて、一生懸命、掃除をした。

何ヶ月か経った頃、同級生は掃除に来なくなった、つまらなかったからだろうか。上級生も、忙しいのか、あまり顔を出さなくなった。それでも、黙々と掃除に励んでいた。

何度か季節が変わった頃、もう誰も来なくなった理科室の前で、草抜きか何かをしていたら、「絶対さぼるな」と言った上級生が通りがかった。驚いていると、「さぼるなと言って、ごめん。掃除、ありがとう」と声をかけてくれた。上級生のやわらかい笑顔に、戸惑った。怖い人ではなかったのだと。

それだけの話だが、何か心にひっかかっていた。

今にして、わかる。認めたくはないが、自分の顔は、サボリ顔なのだ。「こんな奴と一緒なら、迷惑をかけられるに違いない」と思われたのだ。

まさか顔が問題だったとは。小学生の自分には考えも及ばなかった。歳はとってみるものだ。

 

道具は大事

ポッと思いついたことを考えもせずに、間髪おかずにしてしまう癖がある。あの時もそう、この時もそうと、数え出すとそれは後悔の数になる。

『すぐに剥がれます』という謳い文句の粘着ステッカーを貼ってしまったのは数年前。普通、考えるでしょ、と自分にツッコミを入れながら、車を傷つけないように剥がそうと試みた。ここ数週間の話だ。

太陽で焼き付いたステッカーは、塗料の下にまで染み付いているのか。剥がれない。

日光で焦げた絵柄は薄汚くて、剥がすのをあきらめきれない。そこで、ようやく『スクレーパー』を購入した。

何を持ってしても剥がれなかったステッカーが、剥がれていった。というか、削れていった。やはり道具だ。プラスチックの物差しで、簡単に剥がそうとしたこと自体、間違いなのだ。

ただ、スクレーパーの刃が鋭角に触れた部分が傷となり、残った。この傷、さて、どうしたものか。だから、言ったことじゃない、よく考えて行動しないと、つまらないことで、深みにはまる。

けれど、最初の目的は達成できた。道具は大事。スクレーパーさまさまだ。

 

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