いつかきっとがもう間近

現のこと、夢のこと、

占いは、お好き?

最近、占いとかを見たり聞いたりする機会が、偶然、重なった。もともと、占いなんて「当たるも八卦当たらぬも八卦」と言いながら、わざわざ100円出して、おみくじを引くのが好きだ。大吉なら、やったー!と思い、凶なら、今が底か、それならまたすぐにイイ事あるよね!と、能天気に自分のいいように考えて見ている。

 

何かを人から言ってもらうのが、好きなのかも知れない。アンタはおバカさんなんだから、落し物に気をつけてね。北東に買い物にいけば、安売りがあるよ。黄色のハンカチを持って行きなさい。お金が足らずにすむよ。という具合に、たいした話は何もしてくれないだろうが、それでもなんだか嬉しくて、「うん、わかった、そうしてみる」と素直に信じる愚かで幼稚な私がいる。

 

そんなお節介的なつまらぬ話は、自分のことだけに留めておけばいいとは思うのだが、最近、機会があり、子どもや夫などの占いをしてみた。それで、わかったことがある。自分の子どもや夫、日常的によく知っているはずの人たちだ。そう、知っているのだ、毎日よく見ているから。

 

子どもは、元々、私にはもったいない素晴らしい子どもだと思っているので、どんな良いことが占われていても、「そうよね、その通りよね」と頷ける。「あの子の才能はまだ開花していないのよ」などと、親バカ丸出しである。とても楽しく、当たってる当たってると喜べるのだ。

 

ところが、夫。夫を占ってみて、思ったのだ。想像力が豊かな上に理知的なので、自分の才能と努力で道を切り拓いていける人、だそうな。そうらしい。まったくピンと来ない。そうかなぁ、夫ほど想像力のない人間は、地球上のどこを探しても存在しないくらいに思っていたけど。

 

まったくのデタラメでもいいのだ。知っていたつもりの夫が、もしかすると知らないものを秘めているのかも知れない、そう思えるのが占いの素晴らしいところだ。どう言えばいいのだろうか。そう、想像力がなかったのは、私の方だったのかもしれない、私は誰と暮らしていたのだろうか?と、ゾクッとするような気づきをもたらせてくれる、それが占いの素晴らしいところ。

 

自分のレンズからしか見たことがなかった世界を、他人のフィルターを借りて見た世界があまりにもかけ離れているのではないかと、思うことは、悪くはない。むしろ、気持ちがいい。せいせいする。だから、占いは当たるも八卦当たらぬも八卦で、小気味いい。