いつかきっとがもう間近

現のこと、夢のこと、

気になることがありすぎて。その1

最近、気になっていることがあります。その気になっていることは人間3人についてです。

その一人は、いつもあるバス停のベンチに座り続けていたおじいさんのことです。いついかなるときも、雨も雪も猛暑も極寒もベンチで座り続けていたおじいさんが、最近いなくなりました。私がその道を通るのは年に4度、墓参りの時だけです.けれども、何十年もその4度とも、行き帰りを含めて8回、おじいさんを見つけていました。

彼が何者であるのか、何故そこに座り続けてるのか、その道を通るたびに考えていました。そして、通り過ぎると忘れてしまいました。もしかすると、彼はバスから降りてくる人を待っていたのでしょうか。もしかすると、彼は老衰して亡くなってしまったのでしょうか。

二人目は、ばったり遭遇する少年です。その少年は数年前に地元の子ども会に所属して、ボール遊びが大好きだった男の子によく似ています。確かめたことはありません。元々話したこともない男の子だったので、似ているだけでは話しかけられません。

きっと、中学生後半か高校生くらいの年齢です。私がその少年に遭遇するのは、平日の夕方や学校が長い休みに入っている期間が多いので、もしかするとちゃんと学生をしているのかも知れません。

その少年が気になる理由は、表情と身なりです。それは、喜怒哀楽という感情が抜け落ちた表情です。放心状態というわけでもないのですが、あまり文字で表現したくはないのですが、「重油のようなどす黒い液体」が少年の体中に放流しており、受け入れたくはないけど受け入れるしかないと、あきらめている表情に見えるのです。

その少年が気になった一番の理由は、何年前の秋の身なりでした。その年は残暑が厳しくて、10月だというのに半袖でも平気な気候が長く続いていました。けれども、ある朝、ぐんと気温が下がって、その秋、私は初めて厚手のコート着てバイクに乗りました。そんな肌寒い日、その少年はTシャツ一枚にジーパンをはいて線路沿いの道をひとり、あきらめた表情で歩いていました。

少年はいつも一人でした。いつも一人で、どこかに向かって歩いていました。踏切を超えて、橋を渡ったところでも少年は歩いていました。針路は南と決めているかのように、南に向かっているようでした。その少年が、昨日、小さな駅の前に一人、佇んでいました。普通の感覚では、「立ち止まっている」となるのでしょうが、その少年を見る私の目には、「停止している」とうつりました。動から静、変化です。何があったのでしょうか、少年に。