いつかきっとがもう間近

現のこと、夢のこと、

暇人、かくありき。

新幹線の切符を買ってみました。大型連休に新幹線を使用するとなると、きっとすごく混んで乗れないかもしれません。そんな不安から5時半起きで予約をしました。

なんでもやってみるものです。今まで知らなかったことが、あれやこれやと本当に沢山出てくるもので、知らぬが仏とは言ってられなくなりました。予約してから、10時受付で当然のように切符は手に入ったものの、またあれやこれやと考え直して、インターネットで切符の取り消しや交換などをすること1時間。

ようやく人心地ついています。もう少し考えれば、もっとお得に購入できたかなと思いつつ、今日のところは能力の限界で、また今度の持ち越しとします。

ああ、暇人でよかったと思います。

自己評価の低い私が、ようやく理解した事実について。

同じ人間なのに、同じ年齢なのに、同じ学歴なのに、同じ性別なのに、

何故か「差」というものはあるもので、

それは、生まれ育った環境からくるものなのかも知れないとか、

それは、見た目の優劣・美醜からくるものかも知れないとか、

いろいろとガッカリした気持ちで考えてきました。

 

最近になって、鈍い私がようやく理解したことがあります。

 

悔しい、情けない、そんな心の叫びを

言い換えると

個人的な、くだらない、他人にとってはどうでもいい、心の叫びを

堂々と口に出せる人が、自己評価の高い人だと思います。

 

自分のやりきれない気持ちを一つずつ、丁寧に言葉にして

誰かに伝えること、

他人にとって自分の愚痴めいた話は聞く価値もないだろうとは、決して思わず考えもせず

堂々と愚痴を言える人は、自己評価が高い人なんでしょう。

 

丁寧に自分の気持ちに向き合っている、そんな姿勢を真摯な気持ちで受け止めるべきなんでしょう。

 

 

でも、なかなか言えませんよね。自己評価が根っから低い人間にとって、

他人に、いえ、身内にさえ、自分の悔しい気持ちを言葉にして伝えるなんて

とてもできません。せめて、深い深いため息を柱の影でするくらいのものです。

 

 

気になることがありすぎて。その2

木の芽立ちの季節なんでしょうか。とてもショックなことが、あったのでしょうか。

一般道ながら、スピードをあげて走る車やバイクしかいない車道の片隅をひょろひょろと歩く男ひとり。

背の高い普通の感じの人、いや、どちらかといえば「出来そうな」男40代前半、着ている服がスーツならきっと似合う風貌をしていた。ボタンダウンのシャツをTシャツの上に羽織って、何も持たずに顎を上げ気味に、歩いていた。

どうしたんだろう、何があったのだろう、妻が出て行ったか、父母が死んだか、会社をクビになったか。その原因はわからないけれど、男の中の大きな何かが崩れてしまったような、壊れてしまったような印象を受けた。

車はスピードを緩め、対向車線をはみ出しながら、大きく男を迂回して走りさっていく。男は先に何もない道をただ上向きに歩いていく。その光景を私は今も頭の中で俯瞰している。

気になることがありすぎて。その1

最近、気になっていることがあります。その気になっていることは人間3人についてです。

その一人は、いつもあるバス停のベンチに座り続けていたおじいさんのことです。いついかなるときも、雨も雪も猛暑も極寒もベンチで座り続けていたおじいさんが、最近いなくなりました。私がその道を通るのは年に4度、墓参りの時だけです.けれども、何十年もその4度とも、行き帰りを含めて8回、おじいさんを見つけていました。

彼が何者であるのか、何故そこに座り続けてるのか、その道を通るたびに考えていました。そして、通り過ぎると忘れてしまいました。もしかすると、彼はバスから降りてくる人を待っていたのでしょうか。もしかすると、彼は老衰して亡くなってしまったのでしょうか。

二人目は、ばったり遭遇する少年です。その少年は数年前に地元の子ども会に所属して、ボール遊びが大好きだった男の子によく似ています。確かめたことはありません。元々話したこともない男の子だったので、似ているだけでは話しかけられません。

きっと、中学生後半か高校生くらいの年齢です。私がその少年に遭遇するのは、平日の夕方や学校が長い休みに入っている期間が多いので、もしかするとちゃんと学生をしているのかも知れません。

その少年が気になる理由は、表情と身なりです。それは、喜怒哀楽という感情が抜け落ちた表情です。放心状態というわけでもないのですが、あまり文字で表現したくはないのですが、「重油のようなどす黒い液体」が少年の体中に放流しており、受け入れたくはないけど受け入れるしかないと、あきらめている表情に見えるのです。

その少年が気になった一番の理由は、何年前の秋の身なりでした。その年は残暑が厳しくて、10月だというのに半袖でも平気な気候が長く続いていました。けれども、ある朝、ぐんと気温が下がって、その秋、私は初めて厚手のコート着てバイクに乗りました。そんな肌寒い日、その少年はTシャツ一枚にジーパンをはいて線路沿いの道をひとり、あきらめた表情で歩いていました。

少年はいつも一人でした。いつも一人で、どこかに向かって歩いていました。踏切を超えて、橋を渡ったところでも少年は歩いていました。針路は南と決めているかのように、南に向かっているようでした。その少年が、昨日、小さな駅の前に一人、佇んでいました。普通の感覚では、「立ち止まっている」となるのでしょうが、その少年を見る私の目には、「停止している」とうつりました。動から静、変化です。何があったのでしょうか、少年に。

桜はなくなっていた

あの桜の木はもうありませんでした。何十年も経つと土地も地形も変わるのでしょう。でも約束したあの桜の木は何十年もその場にあってほしかったです。

知っていましたか? 

あの日、桜の木を見ながら約束していたとき、私が描いていた将来の夢を。

そしてずっと待っていたことを。

そして今も待っていることを。

きっと、知らないのでしょうね。

ただ、今も思うのです。

私にできることは数少ない、影響力も何もない、うわ言のような話です。

元気でいてください。幸せにしてあげてください。幸せになってください。

そしていつかもう一度あいましょう。

会って、きちんと笑って、お別れしましょう。

また、いつかきっと会おうねと。そうしたら、

今度こそ、未来に繋がる気がします。

 

3月は大忙し

今年も3月が始まり、そして、もう終わろうとしています。3月に入ると、やり残したことの山を一つ一つ払い落とすように片付けます。気持ちよく、桜が眺められるように。気持ちよく、春爛漫を迎えられるように。

彼岸の墓参り

お彼岸の墓参りをした

そんなとき、いつも思うのだが

他力本願 安芸門徒 浄土真宗の家は

何故墓参りをするのだろう

魂はそこにはない

そこにはないはずなのに

祈る

願う

でも誰に向かって墓に祈る? 願う?

墓にいるのは阿弥陀如でもないし

よくわからない

よくわからないが、とにかく墓参りをする

そして祈る

そして願う

今年も無事に過ごせていますよ

みんなを見守っていてくださいね、と