いつかきっとがもう間近

現のこと、夢のこと、

昼顔、見た、見た。

お題「最近見た映画」

まさに、昨日、映画を見た。「昼顔」。金井克子さんが歌っていた「他人の二人」という曲が、時どきに、いきなり始まるところが鋭角的でよかった。

 

ラストは、そうね、それしかないか、という結果だったが、パンプスの為に電車が脱線事故を起こさなくて、本当に良かった。

 

それから、伊藤歩さんの憎まれ役は、見事だ!上戸彩さんの無邪気な愛されキャラの役どころが、なんとなく、霞んでしまっていた。それも、計算ずくなのか。興味深く、見た!

 

百葉箱の中にあるエンゲージリングをみつけた男の子が、女の子の指にはめるシーンは、不要かなと思った。なんか、邪魔だった。余計な話、というか、肉付きしすぎかなと思った。それから、川で蛍を探す子供たちが、北野先生の講演を聴きに行っていた子供たちと同じというのが、腑に落ちなかった。時間の経過がわかりずらかった。

 

でも、とても楽しめた。

体育館の天井

今週のお題「もしも魔法が使えたら」

昔、マンモス校に通学していた。月曜日の朝は、体育館に全校児童が集合して、朝礼があった。終業式の日も始業式の日も、全校児童が体育館に集合して、立って整列し、先生方のスピーチを聞くのだった。

 

立っていても、目の前の黒い頭だらけの視界には、訓示を述べておられる先生の顔はほとんど見ることができない。声だけが延々と続き、その声さえも遠のいていった。

 

ああ、つまらない、つまらない、つまらない、起立の姿勢を崩すと、前後ろ左右の制服の布に当たってしまうので、身を縮めるようにして、体育館の天井を見た。すると、頭上近くに、間仕切りであろうネットカーテンのロープが所在なさげに、たわんで体育館を横切っていた。

 

あ、サーカスだ!とすぐにわかった。いつか見たことがあるピエロの綱渡り。あのロープに私ものりたい、今ならあのロープを器用に渡れるだろう、もしも私に魔法が使えたら、今こそ飛んでロープに上がれるのに。

 

もしも魔法が使えたら?と本気で考えていたのは、小学4年から5年の1年間だった。なぜ思わなくなったのかというと、背が伸びて教頭、校長先生の顔が見えるようになったから。

 

まさか、真面目に訓示を聞いていたわけではない。顔が見えたら、家ではどんなお父さんなのかなぁ?とか、さっきも同じ話をしていたなぁ、堂々巡りだなぁ、子供に嫌われいるのかなぁ?とか、想像するのに時間を割いていたから、魔法使いまで手がまわらないだけだった。

郵便受けのムダ遣い

お題「ムダ遣い」

今日のお題はムダ遣い。そもそも、ムダとはなんだろう?

 

その時、なんとなく手にして買ったものが、必要ないものだったと評価されたときに「ムダ遣いをした」ことになるのだろう。その評価は、普通、自分ではなく第三者がするものだ。これは、私にとってはムダとは言わない。

 

しっかり選んで購入したものが、実はすぐに使い物にならない代物だったときに「ムダ遣いだった」ことになるのだろう。これは、かなりムダ遣いだったと悔しい思いをする。このムダな話なら、ある。

 

ジップロック(Ziploc)は、サイズを見極めて買いましょう!コストコに行ったとき、冷凍ものを大量に買ったので、小分けにする袋を同時に買った。そう、深く考えないで、気をきかせたつもりで。家に帰って、大きな箱に入っていた沢山の箱の一つを手に取って、開けてみて唖然とした。とっても小さいのだ。何も入らない。食パン厚切り1枚くらいのものかな。大量のジップロック(Ziploc)、これこそムダ遣い。どうしよう、、

 

それから、これは書いてもいいのかな、悪いのかな、まあ、いいか。昨日、車の販売店から、店舗移転と印刷された封書が届いた。郵便受けに、かつがつ入る大きさ、A4サイズくらいのものだ。

 

何年も前に、そこで車を買ったので、店舗移転の案内だろうと思って、開けてみた。なんと、封筒の中に、新店舗が印刷されたカラーのチラシが8枚、同じものが入っていた。そして、白い紙に印字された「お知らせ」は入っていたが、そのお知らせは裏返っていて、店舗案内の表が一番最初に、目に付いた。

 

これは、ハッキリ言って、経費のムダ遣いではないの? 曲がりなりにも私は客だ。同じチラシが8枚入っている時点で、「このチラシを配布しろってことだろうか」と考えてしまった。よくよく見ると、全く同じに見えるチラシは1枚ずつ店舗が違っていて、8店舗分入っていた。これは、このブログを書くにあたって細心の注意をしながら、ゴミ箱から取り出して見直して判明したことだが。

 

封書にただ、入れればいいと思って流れ作業をした人に一言。届いた人がどこを開いて、どこから目を通すか、考えて入れてね。ムダすぎる。チラシを指示した人に一言。ご丁寧に郵送までして送ってくださったにも関わらず、申し訳ないけれど、印象悪化は否めない。

 

そもそも、ダイレクトメールは、関心があるから見るものではなく、関心を寄せて欲しい人から送られてくるものだ。よく文章を読めよ!とか、ダイレクトメールを入れる人は思うのかもしれないが、関心のないものを見るとき、文章は見出ししか読まない。わざわざ、老眼鏡を探してまで、読むだろうか? 悲しいくらい、ムダなチラシだった。

 

でも、まあ、良い。やっつけ仕事は、私もよくするし、ムダ遣いをしたのは私ではなく、よく知らない会社だし、即、資源ゴミ直行。でも、ムダ遣いって、ほんと、損失です。

占いは、お好き?

最近、占いとかを見たり聞いたりする機会が、偶然、重なった。もともと、占いなんて「当たるも八卦当たらぬも八卦」と言いながら、わざわざ100円出して、おみくじを引くのが好きだ。大吉なら、やったー!と思い、凶なら、今が底か、それならまたすぐにイイ事あるよね!と、能天気に自分のいいように考えて見ている。

 

何かを人から言ってもらうのが、好きなのかも知れない。アンタはおバカさんなんだから、落し物に気をつけてね。北東に買い物にいけば、安売りがあるよ。黄色のハンカチを持って行きなさい。お金が足らずにすむよ。という具合に、たいした話は何もしてくれないだろうが、それでもなんだか嬉しくて、「うん、わかった、そうしてみる」と素直に信じる愚かで幼稚な私がいる。

 

そんなお節介的なつまらぬ話は、自分のことだけに留めておけばいいとは思うのだが、最近、機会があり、子どもや夫などの占いをしてみた。それで、わかったことがある。自分の子どもや夫、日常的によく知っているはずの人たちだ。そう、知っているのだ、毎日よく見ているから。

 

子どもは、元々、私にはもったいない素晴らしい子どもだと思っているので、どんな良いことが占われていても、「そうよね、その通りよね」と頷ける。「あの子の才能はまだ開花していないのよ」などと、親バカ丸出しである。とても楽しく、当たってる当たってると喜べるのだ。

 

ところが、夫。夫を占ってみて、思ったのだ。想像力が豊かな上に理知的なので、自分の才能と努力で道を切り拓いていける人、だそうな。そうらしい。まったくピンと来ない。そうかなぁ、夫ほど想像力のない人間は、地球上のどこを探しても存在しないくらいに思っていたけど。

 

まったくのデタラメでもいいのだ。知っていたつもりの夫が、もしかすると知らないものを秘めているのかも知れない、そう思えるのが占いの素晴らしいところだ。どう言えばいいのだろうか。そう、想像力がなかったのは、私の方だったのかもしれない、私は誰と暮らしていたのだろうか?と、ゾクッとするような気づきをもたらせてくれる、それが占いの素晴らしいところ。

 

自分のレンズからしか見たことがなかった世界を、他人のフィルターを借りて見た世界があまりにもかけ離れているのではないかと、思うことは、悪くはない。むしろ、気持ちがいい。せいせいする。だから、占いは当たるも八卦当たらぬも八卦で、小気味いい。

晴れています!

今週のお題「晴れたらやりたいこと」

最近、晴天続きなので、晴れていてもやれないことが溜まっていく。

 

押し入れのものを全部、外に出して、乾燥させたり、必要のなくなったものを取捨したかった。家のカーペットや絨毯を洗濯して、清潔を心がけたかった。着ないまま、もったいなくて置いてある夫のスーツを点検して、息子用のスーツにできないか、検討したかった。まだまだ、ある。

 

けれどね、日々の生活を送るのが時間制限ギリギリで、プラスアルファのことまでする余裕はないのだ。いくら晴れていても。でも、そんなことを言っていては、行く末、ゴミ屋敷と化すだろう。そこまでいかなくても、やりたいことができていないというフラストレーションが溜まって、機嫌の悪い意地悪婆さんになっていくだろうか。

 

だから、今度雨が降って、今度晴れたら、いつかきっと、やりたいことを少しずつ、やっつけよう! ひとまず、今日の晴れ間には、胡蝶蘭の植え替えを人知れず、コソコソとやっておくことにする。(こんな季節に、植え替えするなんて、遅すぎるわよ!今まで何をしていたの? と風の噂が飛ばないように)

家飲みって言葉は何歳の人からわかるのだろうか?

今週のお題「家飲み」

いえいえ、そんなに口は大きくありません。それに、そんなもの、飲めるはずがないじゃないですか。家を丸飲みするのですか?それとも噛み砕いて小さくしてから、牛乳と一緒に胃腑の中に流し込むのですか。

 

きっと私が80歳になって聞いていたら、皮肉混じりに笑いもせず言うとは思いますが、そう、本題の家飲みは、はい、毎晩します。酒の肴は興味がなく、ただただ、ウイスキーを飲みます。それは飲みたいからではなく、そこにウイスキーしか飲み物がないから仕方がなく飲むだけで、それ以上でも以下でもありません。

 

安価な炭酸水はいつも冷蔵庫に保管しています。もちろん、糖質はゼロです。いえいえ、別に糖質を憎んでいるわけではありません。甘味料入りの炭酸水が溢れた時に、ベタベタと紙や手にくっついて、気持ちが悪いから糖質はゼロと決めているだけです。

 

バーボンは苦手です。あの、まどろっこしい風味に違和感があります。苦手というより、嫌いです。飲めるものは角瓶くらいのものです。それ以上に高値のものは、私のお小遣いでは、続きませんし、味の違いがよくわかりません。

 

家飲みの話、でした。いつも、飲む時は、ひとりぼっちです。あ、隣りには犬コロが寝ていますが。

踏切りの記憶

忘れていた。そう、彼は怒りっぽい人だった。

え、何故、そこで怒るの?と疑問に思っていたほど、いきなり怒った。

 

けれど、その怒り方がとても悲観的で捨て身だったので、彼をこんなことで怒らせてはいけない、と反省した。

 

きっと、と想像していた。きっと、彼は自分の感情や感覚を表現することに慣れていないのだろう、と。感情や感覚を口に出すことを嫌っていたのか、はたまた、感情や感覚を表現したことによって成功した体験が少ないのか。

 

そんなことを昔、思っていたことすら忘れていた。思い出したのは、踏切りにひっかかったせいだ。踏切りをなんこも横切っているうちに、怒っていた彼の顔を突然思い出した。それは、楽しい発見だった。